| 大阪府議会議員 | |||
|
|||
| 生 ま れ | 1948年(昭和23年)3月6日生まれ | ||
| 現 往 所 | 〒560−0033 豊中市蛍池中町3丁目9番22号 | ||
| 事 務 所 | 同上 | ||
| 現 職 | 日本共産党豊中地区副委員長 明るい豊中市政をつくる会代表委員 豊中天文協会副委員長 | ||
| 学 歴 | 蛍池文化幼稚園、豊中市立蛍池小学校、第五中学校、 府立北野高校、 大阪大学法学部卒業、 大阪大学大学院法学研究科修士課程修了 大阪市立大学大学院法学研究科博士課程中退 | ||
| 職 歴 | 日本共産党 豊中市議会議員5期 | ||
| 著 書 | 『豊中の阪神・淡路大震災』自費出版 「私の履歴書(堀田文一短文集)」限定出版 「堀田文一府議会問答集第1号〜第6号」 | ||
| 家 族 | 妻、1男、母 。2女は結婚・独立 | ||
| 趣 味 | 登山、数学(数学検定準1級)、 天体観測、将棋、クラシック音楽の鑑賞 | ||
| 活動の力点 | 府政だよりを毎月発行し(2005年12月までで78号)、 その都度、豊中市内の駅前など16ポイントで配布し、 府政の問題点を府民に知らせる。「駅前が私の勤務先」 | ||
| 主な経歴 | |
| 1948年 (昭和23年) |
淀川区三国町で青果商に生まれる。 |
| 1950年 (昭和25年) |
両親が蛍池中央市場で菓子小売業を開業。 翌年現住所に引越す。 |
| 1966年 (昭和41年) |
蛍池小、五中、北野高校を経て大阪大学法学部に入学。 大学紛争で学園封鎖に反対し、大学民主化を学生と教職 員の総意で進めるため奮闘。 |
| 1971年 (昭和46年) |
大阪大学大学院法学研究科修士課程に進学し、法律(民 法)の研究に専念 |
| 1974年 (昭和49年) |
大阪市立大学大学院法学研究科博士課程に入学。 「明るく住みよい豊中をつくる文化・知識人の会」事務局 次長。「革新市政実現各界連絡会」事務局長。5月の市長 選挙では、革新市政実現の運動に参加。 |
| 1975年 (昭和50年) |
豊中市議会議員に初当選、以来5期20年。 監査委員、民生衛生・文教水道・交通対策・新病院建設調 査の各委員長を歴任 水道料金値上げに際しては原案を修正し「生活用水割安型 (料金逓増型)」を実現。 総務常任委員会で解同系業者による土地転がし「上山池事 件」を追及。 ゴミ袋の全戸無料配布を実現、同和地区格差も是正。 |
| 1976年 (昭和51年) |
「蛍池解放会館」の名称提案に反対し、地元住民の請願を うけ「蛍池北町会館」にするよう提案。不公正な同和行政 と対決し、本会議採決では賛否同数まで追い込んだ。 国民健康保険高額療養費の貸し付け制度を実現。 |
| 1977年 (昭和52年) |
私立高校生への市奨学金配分を増やす。 |
| 1979年 (昭和54年) |
2期目当選。その晩かかった相談電話から「電話一本即刻 参上」をモットーにする。 同和事業に伴う土地転がしを追及。 |
| 1980年 (昭和55年) |
市立病院での精神科開設を提案。 精神健康相談室がオープン。 |
| 1981年 (昭和56年) |
阪神高速道路池田延伸計画の強引な押しつけに反対。 障害者の在宅施策の充実、障害福祉センターの建設、 府立養護学校の誘致などを要求。 無認可保育所の改善を要求、備品貸与制度を作らせる。 |
| 1982年 (昭和57年) |
モノレール事業に際しては、押しつけ的なやり方に反対し 住民の理解を得るために尽力。 住環境を守る対策を要求し、市役所に建築環境調整室が設 置される。ラブホテルの建設ストップを求める住民運動と 協力の結果、「ラブホテル規制条例」を制定させる。 |
| 1984年 (昭和59年) |
テヅカマンション建築違反事件を追及、解体に追い込む。 |
| 1985年 (昭和60年) |
ハレー彗星到来を機に「皆で星空を楽しむ会」を結成。 |
| 1987年 (昭和62年) |
売上税反対で20時間街頭署名行動などに取り組み、市議 会での反対決議も実現。 市立少年自然の家に天文台を設置させる。沖縄金環食観測 ツアーを企画実施。 「豊中天文協会」の結成に参加、以後今日まで副会長を勤 める。協会は豊中のすべての子どもに望遠鏡で星を見せる ことを目標に学校での学習観望会をはじめ、各種の天体観 望会を実施する。協会が実施した天体観望会で星を見た参 加者は1987年から2005年で85,776人に達す る。 |
| 1989年 (平成 元年) |
文教常任委員会で小中学校の図書購入予算の増額を要求し 一気に倍以上に増額させた。後の学校図書館への司書配置 のきっかけとなった。 |
| 1993年 (平成 5年) |
年金者組合の要請に応え、「高齢者バス優待乗車制度」を 実現させた。 「ヒメボタルを守る会」結成に参加。春日町三丁目のヒメ ボタル生息地の保全助成を実現した。 |
| 1994年 (平成 6年) |
豊中北部の集中豪雨で被災者救援に奔走。災害救助法を適 用させる。 |
| 1995年 (平成 7年) |
1月17日、阪神淡路大震災発生とともに日本共産党豊中 地震対策本部を設置し、本部長となる。災害救助法の即時 適用を進言、ブルーシート無償配布応急仮設住宅の建設、 一般と木造賃貸住宅への修繕資金の融資など市の対策をリ ード。 「被災者のみなさんへのお知らせ」や「救援対策情報」を 発行し情報砂漠におかれた市民への情報提供をすすめるな ど、救援活動の先頭に立つ。 大阪府議会議員選挙に立候補。18,610票をえたが、 508票差で敗れる。 「安心して住める豊中のまちづくりを考える会」の結成に 参加、事務局長となる。 |
| 1996年 (平成 8年) |
「同和行政を終結させる豊中市民の会」代表委員となり 1997年3月の法期限(同和対策特別措置法)を迎え同 和行政終結のための1055人アピールを発表した。 |
| 1998年 (平成10年) |
豊中市長選挙に「明るい豊中市政をつくる会」から立候補 (日本共産党推薦)し、39015票を得る。 (得票率39.40%) |
| 1999年 (平成11年) |
大阪府議会議員選挙に立候補。29,016票を得て当選。 府議会で文教常任委員、決算特別委員に選ばれ、横山ノッ ク知事のセクハラ問題を追及。 府立高校の授業料値上げや統廃合に反対する論陣を張る。 トルコ日食を見に行き、はじめての外国旅行を体験。 |
| 2000年 (平成12年) |
府議会で文教常任委員、決算特別委員委員会副委員長に選 ばれる。 文教常任委員会では、府立高校統廃合反対で引き続き論陣 を張るとともに、養護学校の改善、教職員の定数改善、日 の丸・君が代の押しつけ止めよなどを主張する。 決算特別委員会では水と緑の健康都市開発や関空2期事業 の問題点を追及する。 阪急電車のダイヤ改正に対し、阪急電鉄に手紙を送り、問 題点を指摘する。 |
| 2001年 (平成13年) |
府議会で土木建築常任委員と都市再生調査特別委員に選ば れる。 土木常任委員会では、府営中家賃宅減免制度の改悪に反対 し、都市再生環状道路計画や国際文化公園都市開発の問題 点を追及。 都市再生調査特別委員会では、カジノ誘致に反対し、大阪 再生の根本を探る。 |
| 2002年 (平成14年) |
府議会で土木建築常任委員と都市再生調査特別委員に選ば れる。 土木建築常任委員会では、府住宅供給公社賃貸団地の建て 替え計画に住民合意を求めるとともに、箕面トンネルでの 湧水によって箕面の瀧が細くなった問題や、モノレールと 阪急電車の接続の改善を取り上げる。 |
| 2003年 (平成15年) |
府会議員選挙があり、19,759票を得て再選。 府議会で商工労働常任委員会委員長と、決算特別委員に選 ばれる。 商工労働常任委員長としては、松下・三洋・日清食品など の企業博物館を見学、東大阪の中小企業を視察、大阪府中 小企業団体中央会の相談役に就任、ものづくりグループ・ ネットワーク全国交流会に参加などで大阪経済を勉強。 阪急電車宝塚線のダイヤ改正により、急行が蛍池駅に停車 するようになる。 |
| 2004年 (平成16年) |
府議会での一般質問で夜間定時制高校半減化反対や水と緑 の健康都市開発の中止を求めて論陣を張る。 総務建築常任委員に選ばれる。 総務常任委員会では、災害対策、府庁リストラ、財政問題 などを取り上げる。 |
| 2005年 (平成17年) |
次の地震に備える講演会を開く。 府議会ではじめて代表質問を行う。 総務建築常任委員会で、府庁リストラ、国民保護計画、同 和事業などの問題を取り上げる。 |
|
|
|